ホーム > こども・教育 > 教育委員会 > 「学校、今日行く!」~教育長の学校日記~ > 令和6年度(2024年度)発行号 > 4月17日 「教育長の学校日記」 私の夢は、みんなの夢になり…、そして実現する<前編>
ここから本文です。
更新日:2024年4月17日
▲心に響く、国歌「君が代」の独唱 |
▲たくさんの質問にお答えいただきました |
今日は第三大島小学校を訪問しました。私が学校や幼稚園に行くのは、そこに真実があるからです。そして、そこに行くと、こどもたちや先生方の輝く姿、笑顔に出会えるからです。時には、困っている姿に出会うこともあります。今日も、こどもたちってすごいな、先生方頑張っているな、学校って素晴らしいなと実感させてもらいました。三大小のこどもたち、先生方、地域の皆様、そして何より、私たちに大きな感動と学びを与えてくださった、シンガーソングライターの佐藤ひらりさん、ありがとうございました。
三大小は、今年度開校99周年を迎えました。100周年に向けて先生方や地域の皆様との話の中で、こどもたちがいつでも口ずさめるようなスクールソングがつくれたらいいですねという話になったそうです。そして、その思いがいつしか多くの人の夢になり、少しずつ現実味を帯びていきます。その夢が、東京2020パラリンピック競技大会の開会式で国歌独唱をされたシンガーソングライター佐藤ひらりさんにつながり、そして今日、ひらりさんをお迎えした授業が行われました。
体育館に集まった5・6年生。そこにひらりさんが入場され、前触れもなく国歌「君が代」を独唱されました。その美しくも力強く、心に響く歌声に体育館にいるすべての人たちは、一瞬にして魅了されてしまいました。ひらりさんは、5歳の時に美空ひばりさんの「川の流れのように」に出逢い、音楽に目覚め、そこから音楽の才能を開花されます。小学4年生の時には、東日本大震災をきっかけに、「みらい」という楽曲を初めて作詞作曲されます。ひらりさんは、今日の授業でその時のことについて、「私は、目は見えないけれど、東日本大震災が起きて、大変な状況になっていることは分かりました。私に何かできることはないかと考えて、『みらい』をつくりました」と話してくださいました。
ひらりさんは、「みらい」も歌ってくださいました。小学4年生の、それもその状況を実際に目で見たわけではないひらりさんがつくられたことを知ったこどもたちは驚いていました。「みらい」には、次のような歌詞があります。『心の目を開いたら、明るい未来が待ってるから…過去・現在・未来、みんな歩いて行けるよ…みんなで未来への扉を、その手で開けよう』素敵なメロディに乗って、言葉が心にしみてきます。目が見えている私たちは、目の前のものをしっかりと見ているのだろうか、そしてその本質が見えているのだろうかと自問してしまいました。「心の目を開く」ことで、見えないものが見えてくる。それが本当に見えているということなのではないか、と考えさせられました。
ひらりさんは、歌とお話の後には、こどもたちのたくさんの質問にも答えてくださいました。「生きづらさを感じたことはありますか?」という質問に、「よく、『見えないのにすごい』というように、『のに』と言われることがありますが、私は見えないことが当たり前なので、『のに』とは思いません。逆に、見えないから、普通は触れない物を触らせてもらえることもありますし、見えないことが今の音楽のきっかけにもなっていますから、見えないことでできたこともあります。でも、例えば新幹線のトイレの音声案内で、『床から90cmのところに』と言われても、見えないから分からないんです。もっと目が見えない人に相談してもらえたら、生きやすい世の中になるのにな、と思うことはあります」と答えてくださいました。また、「目が見えないとどんな感じですか?」という質問には、「ストレートだね~」と前置きをされて、「人によってそれぞれ違います。私は、光は見えています。明るいな、暗いなというのは分かります。でも、何があるのか、どんな色かは分かりません。それが、私の見える世界です」と答えてくださいました。こどもたちにとって、見えないということ、いや、ひらりさんの見える世界について理解が深められたやり取りでした。<後編へ続く>
江東区教育委員会 教育長 本多健一朗
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください