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教育委員会

更新日:2022年11月5日

「学校、今日行く!」~教育長の学校日記~

「つよき意志」校歌がつなぐ歴史と伝統 周年記念式典④

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▲代表生徒による「生徒祝いの言葉」

▲全校合唱「夢の世界を」「明日へ」

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▲「つよき意志」のモニュメント

▲小春日和の心地よい青空の下迎えた開校70周年

 第二砂町中学校の開校70周年記念式典が行われました。本校は、昭和27年4月、砂町中学校内に開校し、8月に現在の地へ移転しました。開校当時は校舎のすぐ近くまで海が広がり、東には荒川が流れ、自然溢れる地域でありました。荒川の護岸整備がされるまでは、高潮や台風により休校となる等、大変ご苦労があったと伺いました。海水浴場が近くにあったこと等、今の生徒たちには想像もつかないことと思います。

 代田校長先生は、式辞の中で本校の歴史を振り返るとともに、校歌の紹介をされました。本校の校歌は、詩人で作家である佐藤春夫さんが作詞をされており、直筆の歌詞が校長室に飾られています。校歌は、昭和32年10月14日の開校記念日に佐藤春夫さんが来校され発表会が行われましたが、前年の卒業式から既に生徒たちに歌われていたようです。佐藤春夫さんは、当時の校長先生より依頼を受け、作詞される際には羽織袴で学校のある地域をご自身で歩かれたそうです。なるほど、当時の本校や地域の様子が校歌にはよく表されています。

 校歌の1番の歌詞は、「消費の都心遠くして 世の奢侈より逃れたり 荒川堤袖ケ浦 建設の野をわれら行く」です。当時の本校の地域、袖ケ浦の様子がこの歌詞でよく分かります。そして3番の歌詞は、「第二砂町中学の わが一千の友を見よ 世界の明日に生きん子の にごらぬ瞳つよき意志」です。当時千人を超えていた生徒数、そして発展していく当時の日本で真っ直ぐに生きていく生徒たちへの期待を読み取ることができます。そして、最後にある「つよき意志」は、本校の伝統となり、二砂中生に脈々と受け継がれています。50周年の際には、「つよき意志」を刻印したモニュメントも作られました。生徒たちは校歌を歌う度に、本校の歴史を実感していることと思います。

 私も本校の校歌に心を惹かれ、佐藤春夫さんのことを調べてみました。すると、佐藤春夫さんは、前回の東京オリンピックの開会式で歌唱された「オリンピック東京大賛歌」を作詞されたこと、そしてその開会式を見ずして、1964年5月に亡くなられたことを知りました。昨年度、江東区で2度目の東京オリンピック・パラリンピックの多くの競技が行われたことからも本区や本校への縁を感じました。

 改めて、第二砂町中学校開校70周年おめでとうございます。開校70周年記念行事実行委員会、本校同窓会、PTA、地域の皆様、教職員の皆様、ありがとうございました。式典では、代表生徒が、コロナ禍でも自分たちは成長できたと話し、その成長を支えてくださった皆様への感謝の言葉を述べました。さらに、本校の伝統を次の世代に受け継ぐだけでなく、新たな伝統や校風を築き、卒業後もさらに精進していくという「つよい意志」を語ってくれました。全員合唱の「明日へ」を聴いていて、「向かい風の時も、嵐の夜も… まだ見ぬ明日へと走って行くよ」、「孤独や不安を乗り越えて、僕らは大人になっていく」、「きっと行くよ、辿り着いてみせるよ、輝く明日へと走って行くよ」という歌詞に、本校の歴史やコロナ禍で頑張ってきた生徒たちの姿がだぶり、心に響くものがありました。本校を巣立った「つよい意志」をもった二砂中生たちが、きっと本校を支える存在となって帰って来てくれることでしょう。

 江東区教育委員会 教育長 本多健一朗

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