矢部定令墓
矢部定令(やべさだのり)は江戸時代後期の旗本で、墓には古賀精理(こがせいり)の撰による事績が刻まれています。天保改革時の江戸の町奉行として有名な定謙(さだのり)は、定令の子にあたります。
矢部家は駿河今川氏の家臣でしたが、後に徳川氏の旗本となり300石を領しました。定令は原田権兵衛英種の二男として、寛延元年(1748)に生まれ、定章の養子となりました。明和3年(1766)10月に将軍家治(いえはる)へ拝謁し、同5年7月に矢部家を継ぎました。同6年に大番(おおばん)に列し、天明5年(1785)に大番組頭となりました。寛政3年(1791)5月に御徒頭(おかちがしら)となり、同12年正月には堺奉行に転じ、同年4月には朝散大夫(ちょうさんたいふ)(従五位下の唐名)を拝受しました。文化10年(1813)に66歳で亡くなりました。定令は質素を好み、和歌もたしなんだといわれます。
郵便番号 | 135-0023 |
---|---|
住所 | 平野2-4-25 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | 浄心寺 |
登録年月日 | 1986年3月26日 |
お問い合わせ先
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください