妙寿寺跡
妙寿寺(みょうじゅじ)は、日蓮宗で京都妙蓮寺末、本覚山(ほんがくざん)妙寿寺と称し、別当を勤める猿江稲荷(猿江神社)の北に位置していた。
『葛西志』(かさいし)では寛永8年(1631)の創建。『御府内備考続編』(ごふないびこうぞくへん)によると、谷中清水町(台東区)の妙情寺の寺地が、寛文2年(1662)に火除地(ひよけち)として召し上げられ、当時の住持・信入院日崇が猿江に代地を願い出て当地へ移転し、寺号を妙寿寺と改めた。また猿江稲荷は、当初、住善寺という寺が別当を勤めていたが、住善寺が廃寺になると妙寿寺がかわって別当となった。
関東大震災で罹災後、妙寿寺は世田谷区北烏山5へ移転しました。同寺には現在、享保4年(1719)の銘のある、葛飾郡大島村に居住した鋳物師・釜屋六右衛門(釜六)によって鋳造された梵鐘が伝わっています。
郵便番号 | 135-0003 |
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住所 | 猿江2-2.3.4.5付近 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | |
登録年月日 | 1984年3月26日 |
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