膳所藩主本多家墓
近江国膳所(ぜぜ)藩(滋賀県)初代藩主となる本多康俊(やすとし・家康の叔母碓井姫の子、酒井忠次次男)は、元和3年(1617)、三河国西尾藩(愛知県)より移封されました。2代藩主俊次(としつぐ)の代に、一時、旧領である西尾に戻りましたが、明治に至るまで同家が藩主を務めました。
霊巌寺には、康桓(やすたけ・1676~1769)、康匡(やすただ・1757~81)、康完(やすさだ・1769~1806)、康禎(やすつぐ・1787~1848)、康融(やすあき・1812~58)の5名が葬られています。また延宝7年(1679)、3代藩主康将の次男忠恒に分地され、河内国西代藩(大阪府)が立藩されています。なお、忠恒の子忠統も同寺に葬られています。
本多家の墓には、正面に「舊膳所藩主本多氏墓」、背面に「昭和四年六月/子爵本多康虎建之」と刻まれており、関東大震災後の昭和4年(1929)6月に再建されたことがわかります。
郵便番号 | 135-0021 |
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住所 | 白河1-3-32 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | 霊巌寺 |
登録年月日 | 1983年5月31日 |
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