伊奈忠治・忠重墓
江戸時代、伊奈家は、忠次(ただつぐ・1550~1610)が関東郡代(代官)に任命されて以降、代々その職を世襲しました。忠次の後、嫡男忠政(ただまさ・1585~1618)が後を継ぎましたが、早世したため、勘定方を務めていた次男忠治(ただはる・1592~1653)が同職を兼ねて武蔵国赤山領(埼玉県)を知行しました。忠治は、利根川流域の改修や荒川の瀬替え工事、灌漑、開墾などに貢献する民政家でした。
忠重(ただしげ・1639~74)は、忠治の三男であり、半三郎、五兵衛と称しました。承応2年(1653)、忠治の遺領を分与され、旗本として分家しました。淀川の普請や武蔵国等の新田検地を奉行しました。延宝二年(1674)五月に没しました。またこの系統からは、寛政4年(1792)に伊奈本家の名跡を継いだ伊奈忠盈(ただみつ)(小三郎、1776~没年不詳)が出ました。
郵便番号 | 135-0034 |
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住所 | 永代1-8-8 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | 正源寺 |
登録年月日 | 1986年3月26日 |
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