峰山藩主京極家墓
丹後国峰山藩(京都府)京極家は、室町幕府以来の名家で、「侍所頭人」(さむらいどころとうにん)に任じられる幕府の重臣(四職)でした。峰山藩は初代藩主となる高通(たかみち)が父高知(たかとも・1572~1622)の遺領を分地されて立藩され、最後の藩主高陳(たかのぶ)まで、同地に留まり廃藩置県を迎えました。
霊巌寺には、高明(たかあき・1660~1726)、高長(たかなが・1695~1769)の歴代藩主、さらに一族の高重が葬られていることが、『寛政重修諸家譜』に記されています。京極家は備後守や備中守の受領名を持ち、本所横川に下屋敷を構えていました。
現在の墓は、笠部に京極家の家紋である「つなぎ四目結」が陽刻されており、正面に刻まれている戒名「圓諦院殿/前従五位下/備洲刺史/實譽一乘道賢大居士」、「文政十三年」(左側面刻銘)、「寅三月五日」(右側面刻銘)から7代藩主高備(たかまさ)の嫡子高聡(たかとし・1799~1830)の戒名であることが分かります。高聡は、早世したため家を継がず、弟の高部(たかます)が藩主となりました。
郵便番号 | 135-0021 |
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住所 | 白河1-3-32 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | 霊巌寺 |
登録年月日 | 1988年3月24日 |
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