雄誉霊巌墓
雄誉霊巌(おうよれいがん)は霊巌寺の開山です。天文23年(1554)に駿河国(静岡県)沼津に生まれ、永禄7年(1564)に沼津浄運寺の増誉について出家し、肇叡と号しました。同11年に下総国(千葉県)生実(おゆみ)の大巌寺へ移り、名を霊源と改め、天正15年(1587)には同寺3世となりました。一時奈良へ移りましたが、文禄2年(1593)、徳川家康の命により再び大巌寺の住職となりました。その後、隅田川河口部西側に陸地を造成し(後の霊岸島)、寛永元年(1624)に霊巌寺を創建しました。同6年には京都知恩院32世となりました。同18年に江戸へ下った際、急に病を発し、霊巌寺において88歳で亡くなりました。
なお、霊岸島の霊巌寺は明暦3年(1657)の大火で類焼し、万治元年(1658)に深川の現在地へ移りました。
郵便番号 | 135-0021 |
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住所 | 白河1-3-32 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | 霊巌寺 |
登録年月日 | 1981年4月10日 |
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