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更新日:2022年1月31日
墓地の東側にある西館孤清墓(区登録文化財)の前にあります。翫水(1835~80、諱建哲)は天保6年に弘前藩津軽家の藩士高倉盛儀と津軽多膳娘の次男として生まれ、10歳で西館本家の養子となります。家督を継ぐと諸役を歴任し、次第に藩主承昭の信任を得て、慶応元年(1865)に家老職に就任しました。徳川幕府が倒壊し、慶応4年に奥羽越列藩同盟が結成されると津軽藩もこれに加わりますが、京都出役西館孤清の活動により藩主が官軍支持に方針を変えると、翫水は藩主の意を受けて家中の説得にあたりました。その結果津軽藩は新政府から奥羽触頭に任命され、函館戦争の尖兵をつとめ、翫水は藩兵を率いて転戦しました。明治2年(1869)の版籍奉還後、翫水は入れ札によって津軽藩大参事に就任しますが同4年に職を辞し、同11年には妻子を引き連れて東京に寄寓しました。明治13年10月29日に没し、長寿寺に葬られました(享年46歳)。
住所 | 亀戸3-10-2 |
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地区 | 城東 |
所在地(所有者) | 長寿寺 |
登録年月日 | 2007年10月26日 |
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