渋沢栄一宅跡
渋沢栄一は、明治から大正にかけての実業界の指導者です。天保11年(1840)武蔵国榛沢郡血洗島村(現深谷市)に生まれました。25歳で一橋家に仕えたのち幕臣となり、維新直前にはフランスパリ万博に派遣されました。維新後帰国し、明治政府に出仕したが、明治6年(1873)に実業界に転じ、以後、金融・産業・運輸などの分野で近代企業の確立に力を注ぎました。晩年は社会公共事業に貢献し、昭和6年(1931)92歳で没しました。
栄一は、明治9年(1876)に深川福住町(現永代2)の屋敷を購入し、修繕して本邸としました。同21年(1888)には、日本橋区兜町(現中央区日本橋兜町)に転居したため、深川邸は別邸として利用されました。
栄一と本区との関係は深く、明治22年(1889)から同37年まで深川区会議員および区会議長を務め、深川区の発展のために尽力しました。また、早くから倉庫業の重要性に着目し、明治30年(1897)、当地に澁澤倉庫部を創業しました。大正5年(1916)、実業界を引退するまで五百余の会社設立に関与したといわれますが、本区に関係するものでは、浅野セメント株式会社・東京人造肥料会社・汽車製造会社・旭焼組合などがあげられます。
郵便番号 | 135-0034 |
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住所 | 永代2-37 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | * |
登録年月日 | 1984年3月26日 |
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