霊雲院跡
霊雲院(れいうんいん)は曹洞宗で龍穏寺(りゅうおんじ・埼玉県入間郡越生町)の末寺であり、天王山福源寺と称しました。開山は放光東明(ほうこうとうめい)和尚〔寛政4年(1792)没〕です。
東明は、幼少の頃から才智人に優れ、長ずるにしたがってその名は全国に知られるようになり、8代将軍吉宗の耳に入り、城中に招かれました。さらに東明は宝暦8年(1758)、下総国(千葉県)にあった嶺雲院を深川に移し、「嶺」を「霊」と改めて霊雲院の開山となり、翌9年に朱印地200石を賜りました。『江戸名所図会』によれば天保の頃には俗に「深川の新寺」と呼ばれていたといいます。霊雲院の桜は、葛飾北斎の「絵本隅田川両岸一覧」に「市中の花」として描かれるほど有名でした。
戦後、東村山市へ移転しました。
郵便番号 | 135-0024 |
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住所 | 清澄1-4・5・6・7付近、同2-5・9・10・11付近 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | |
登録年月日 | 1982年3月15日/2017年4月住所変更 |
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