桑名藩主松平家墓
伊勢国桑名藩(三重県)藩主松平(久松)氏は、徳川家康の異父弟(父が家康の母伝通院の再婚相手)であった定勝(さだかつ)を初代とします。霊巌寺には、歴代藩主の内、定重(さだしげ・1644~1717)、定永(さだなが・1791~1838)、定猷(さだみち・1834~59)が葬られています。
現在の墓の背面には、関東大震災後の復興事業による区画整理によって墓域が整理され、昭和4年(1929)8月に従来の墓を合葬した新たな墓碑であることが刻まれています。
なお定重が、いわゆる野村騒動により、宝暦7年(1710)に、越後国高田藩(新潟県)に移封となりましたが、さらに定賢の代に陸奥国白河藩(福島県)へ移封されました。定賢の嫡男定邦は、後の松平定信を養子に迎えました。定信の嫡男定永の代に父祖の地である桑名へ移封され、以降、定和、定猷、定敬と続き、幕末の一会桑(いっかいそう)政権の一翼を担った、高須四兄弟のひとり定敬(さだあき)が藩主となりました。
郵便番号 | 135-0021 |
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住所 | 白河1-3-32 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | 霊巌寺 |
登録年月日 | 1983年5月31日 |
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