園女歌仙桜碑
園女歌仙桜碑(そのめかせんざくらひ)は、17世紀後半から18世紀前半の俳人、度会園女(わたらいそのめ)に関わる石碑です。碑名の由来となった園女(1664~1726)は、伊勢山田の神職の家に生まれ、医師の斯波一有(しばいちゆう)(?~1705)と結婚して大坂に住み、元禄3年(1690)には夫婦で芭蕉(1644~94)へ入門しました。その後、元禄15年(1702)に夫と死別すると、宝永2年(1705)には江戸深川へ移りました。江戸では、眼科医を生業とし、一方で其角(1661~1707)の門人となり、俳諧の宗匠としても活動しました。さらに正徳年間(1711~16)には、富岡八幡宮の境内に桜36株を植えました。この桜は、平安時代の三十六歌仙(歌人)を連想させ、「歌仙桜」、「園女桜」と呼ばれました。
園女歌仙桜碑の建立については、19世紀前半の『寺社書上』(じしゃかきあげ)という史料には、宝暦5年(1755)に永代寺門前の青柳屋(あおやぎや)が、富岡八幡宮の桜を植え継ぎ、その際、同寺門前に居住していた園という歌人が桜を奉納し、碑を建立したとの記述があります。そのため碑の制作年は、宝暦5年と考えられます。次いで同碑の刻銘について、『寺社書上』には「園女 歌仙櫻」とのみ記されており、現在の碑にもそれ以外の刻銘やその跡は確認できないため、建立当初から「園女 歌仙櫻」とのみ刻まれたと考えられます。
現在、園女自身が奉納した桜は失われましたが、園女歌仙桜碑は、深川で活動した俳人園女の名と歌仙桜について伝える貴重な文化財です。
郵便番号 | 135-0047 |
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住所 | 富岡1-16 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | 深川公園 |
登録年月日 | 1981年4月10日/2022年8月1日区指定 |
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