旧渋沢家住宅
近代日本の産業・福祉・教育などの発展に尽力した渋沢栄一とその家族が、明治から昭和にかけて暮らした住宅です。栄一は、明治9年(1876)に深川福住町(現永代2)に購入した屋敷へ転居し、同11年(1878)に清水屋(現清水建設株式会社)の二代目清水喜助に二階建の「表座敷」を新築させ、同21年に日本橋区兜町(現中央区日本橋兜町)へ転居するまで暮らしました。栄一の転居後は、長男篤二、孫敬三の住まいとなりました。
明治41年(1908)に住宅は芝区三田綱町(現港区三田2)へ移築されました。また、昭和4年~5年(1929~30)にかけて、敬三によって和館の一部が解体され、洋館が増築されています。戦後の昭和21年(1946)、財産税を支払うために住宅は国に物納され、国有の施設となりました。その後、老朽化などを理由に建て替え・解体が計画されましたが、戦時中に渋沢家の執事などを務めた杉本行雄への払下げが平成2年(1990)に決まり、翌年に青森県六戸町へ移築されました。その後、清水建設株式会社の所有となり、解体されて江東区内に移送され、時代設定を昭和5年として、令和5年(2023)7月に現在地への移築復原が完了しました。
住宅は数度にわたる移築と増改築を経ていますが、「表座敷」を中心に、それを維持する形で行われました。階段などに洋風要素を取り入れた「表座敷」には、当初の形態や工法などがよく残されています。また、和風と洋風とを巧みに調和させた設計と施工技術及び意匠・用材の優秀さを備えています。昭和初期に建設された和洋館並列型住宅として完成された姿を現代に伝える貴重な建造物です。
郵便番号 | 135-0052 |
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住所 | 潮見2丁目8番20号 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | 清水建設株式会社 |
登録年月日 |
2019年10月1日/2020年1月6日区指定 /2024年1月10日指定内容変更 |
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