石造宝篋印塔(阿茶局墓塔) 寛永14年在銘
大正期の石造宝篋印塔(阿茶局墓塔)
本塔は雲光院の開基である阿茶局の墓塔です。総高363.1センチメートル、石質は安山岩。塔身正面には「雲光院殿従一位尼公」、左右側面と背面には阿弥陀三尊の種子(しゅじ)が刻まれています。また、上基礎の正面には「正誉周栄大姉寛永十四丑丁年正月廿日」と刻銘があります。近世前期の宝篋印塔の様式をよく示しています。
阿茶局は、弘治元年(1555)、武田家臣飯田氏の子として生まれ、今川家臣神尾忠重(かんおただしげ)の妻となりましたが、忠重死後、徳川家康の側室となりました。大坂冬の陣には和睦の使者を務め、家康死後は徳川秀忠の五女和子の入内に際し、母代(ははしろ)として在京しました。元和9年(1623)、従一位に叙せられ、秀忠死後は尼となって雲光院と称し、寛永14年(1637)、83歳で没しました。
郵便番号 | 135-0022 |
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住所 | 三好2-17-14 |
地区 | 深川 |
所在地(所有者) | 雲光院 |
登録年月日 | 1981年4月10日/2001年3月29日区指定 |
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