城東・砂町地区
中浜万次郎住居跡
- 北砂1-3 北砂小学校
- 都バス 「北砂1」徒歩6分
中浜万次郎は、幕末に通訳・翻訳などを行い、ジョン万次郎の名で知られています。文政10年(1827)土佐国(高知県)中ノ浜で生まれ、明治31年(1898)71歳で死去し、墓は豊島区雑司ヶ谷霊園にあります。
万次郎は14歳の時、漁に出て遭難し、米国の捕鯨船に救助され、以後、嘉永4年(1851)に帰国するまでの大半を米国で過ごし、教育を受けました。帰国後は土佐藩、幕府に登用され、明治元年(1868)再び土佐藩に登用されました。明治2年から明治13年(1880)まで、砂村にあった土佐藩の下屋敷に住み、開成学校(東大の前身)の教授などを勤めました。
戦災資料センター
- 北砂1-5-4
- TEL 03-5857-5631
- 都バス「北砂1」徒歩2分
1970年より、東京大空襲・戦災の文献や物品を収集してきた「東京空襲を記録する会」の資料を活用し、市民の蒙った戦争の惨禍を次代に語りつぎ、平和の研究と学習に役立つ場になるように平成14年3月9日に(財)政治経済研究所により開館されました。
左行秀旧跡
- 北砂1-18
- 都バス「扇橋3」徒歩2分
左行秀は、文化10年(1813)筑前国(福岡県)上座郡に生まれ、明治20年(1887)75歳の時、横浜で死去しました。行秀は、弘化4年(1847)土佐藩の城下に入ることを許され、文久2年(1862)頃に藩主山内容堂侯に従って江戸に行き、鍛刀するところとなりました。この時期の作品の刀銘から、当時土佐藩の下屋敷のあった当地で仕事をしていたことがわかります。作風は、実践用として作られた古刀の良さを重んじた復古調を示しています。
石田波郷宅跡
- 北砂2-1-38
- 都バス「境川」徒歩3分
波郷は、大正2年愛媛県で生まれ、昭和21年にここ江東区北砂に移り、昭和33年まで居を構えました。その後数多くの名作を残し、昭和44年56歳で亡くなりました。お墓は、調布市の深大寺にあります。
また、波郷の功績を紹介するため、『石田波郷記念館』もご覧下さい。
石田波郷記念館
- 北砂5-1-7 砂町文化センター2F
- TEL 03-3640-1751
- 都バス「北砂2」徒歩10分
俳人石田波郷は、昭和21年から約12年間江東区の北砂に住み(『石田波郷宅跡』参照)、当時の江東区の様子を「焦土諷詠」として多くの俳句に詠みました。また、波郷は戦後の俳壇を先導し、わが国の俳句文学に大きな功績を残しています。その功績と人間像を、江東区との関わりを紹介し顕彰するため、平成12年12月に、波郷自身が「第二の故郷」と呼んだこの地に記念館を開設しました。
- 詳細情報
関連リンク(このページ最後):砂町文化センター 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団ホームページを参照して下さい
旧大石家住宅
- 南砂5-24 仙台堀川公園
- 都バス「亀高橋」徒歩5分
旧大石家住宅は、江戸時代に建てられた区内最古の民家住宅です。安政の大地震、大正の大津波、関東大震災、戦災といったいくつもの災害をまぬがれ、建築当初の姿をとどめた貴重な住宅です。
その文化的・歴史的価値を守り伝えるため、平成6年3月に江東区の有形文化財に指定されるとともに解体調査を行い、平成8年、仙台堀川公園内のふれあいの森に移築復元されました。
- 詳細情報
関連ページ(このページ下方):旧大石家住宅を参照して下さい
四つ車大八の墓
- 東砂1-4-10 因速寺
- 都バス「東砂1」または「東砂3」徒歩3分
四つ車大八は秋田の生まれで、文化6年(1809)4月38歳で死去し、当時深川福住町にありました因速寺に葬られました。その後因速寺は昭和2年に現在の地へ移転してきました。力士としては、前頭三枚目どまりですが、芝居や講談で有名な「め組の喧嘩」の力士として知られています。
「め組の喧嘩」は、文化2年(1805)芝明神境内(港区)で勧進大相撲興行中に起きた力士と町の鳶職たちの喧嘩を題材にしたものです。
長州藩大砲鋳造場跡
- 南砂2-11 南砂緑道公園
- 東京メトロ東西線「東陽町」駅 徒歩6分
長州藩の下屋敷は、「江戸切絵図」などによると南砂2~3付近にあり、「防長回天史」には、幕末に、佐久間象山の指導で、この邸内で大砲を鋳造した記事があります。このモニュメントは、白御影石の台座の上に、現在パリのアンヴァリッド(廃兵院)に保存されている、当時ここで造られていた大砲(実物は長さ3メートル)をモデルに作成したブロンズ製のものです。
富賀岡八幡宮
- 南砂7-14-18
- 東京メトロ東西線「南砂町」駅 徒歩15分
当社は、元八幡の名で知られ応神天皇を祭神とする古い神社であります。松の大木が密生し、桜の参道があり、閑静な江戸市民の遊楽地でしたが、明治43年の大水害で、松林も桜も全滅しました。しかし、いまも芭蕉の句碑や灯ろうなど古いものがたくさん残っています。特に区内最古の神輿は、江戸時代の文化10年(1813)の作で、江戸神輿の風格を今に伝えています。
境内には、「芭蕉の句碑」や社殿背後には、岩石を積んで作られた人造の富士山があります。江東区内の富士塚では、深川の富岡八幡宮(昭和39年に取り払われ、平成14年に富士塚が再建されました)と亀戸の浅間神社(平成11年の再開発により、富士塚は公園になっています)の三ヶ所です。
横十間川ボート場・和船乗船
- 南砂1-1
- 東京メトロ東西線「東陽町」駅 徒歩15分
横十間川親水公園は、小名木川から平住橋へ続く長さ1,900mの親水公園です。横十間川は、万治2年(1659)に開削された川幅約十間(約18m)の川で、江戸城から見て横に流れていたことからこの名がつけられました。今は、ボート乗場や水上アスレチック、野鳥の島、水車小屋、アヒル池、そして花ショウブの池と続き、四季折々の自然が楽しめます。
- 詳細情報
関連ページ(このページ下方):横十間川ボート場または和船乗船体験を参照して下さい
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