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更新日:2023年11月15日
1923年(大正12年)9月1日、関東南部に大地震(関東大震災)が発生しました。東京市では、市街面積の約40%が焼失する大惨事となりました。被災した都市の復興事業では、公園の計画が重視され、1924年「震災復興公園」を設置することが決まりました。震災復興公園には、3大公園(錦糸公園、浜町公園、隅田公園)と52箇所の小公園があります。江東区内には、7箇所の小公園が設置されました。震災復興公園は、小学校に隣接して設置され、近隣住民の憩いやコミュニティの中心、地域における防災拠点としての役割を担ってきました。また、公園の特徴としては、広場を中心とした設計がされており、広場に面して、ステージ(あずまや・藤棚などが設置されている休憩エリア)があるところです。戦後、小公園の管理は東京都から区に移管され、改修が重ねられ現在に至っています。当時の姿を残している公園は少ないですが、歴史的に価値のある公園です。
江東区にある震災復興小公園(7箇所)
川南公園(千石二丁目9番22号、2,975.31平方メートル)は、1931年に開園しました。イチョウやケヤキといった大木が外周に植樹され、園内は広場と遊具広場に分かれています。広場の西側には開園当初からの2方向すべり台が現存しています。川南の名称の由来はもとのこの地の地名で水運の動脈であった小名木川の南に位置していたことからつけられたと言われています。
2方向すべり台
元加賀公園(白河四丁目3番27号、2,975.21平方メートル)、1927年に開園しました。中央に藤棚があり、東側に遊具広場、西側に広場の配置は開園当初から大きく変わっていません。広場の西側には開園当初からの壁泉が残っています。元加賀の名称の由来は、江戸時代に松平加賀守の下屋敷がつくられ、のちに下屋敷が移転したため、元加賀と呼ぶようになったと言われています。
壁泉
2023年(令和5)9月1日は関東大震災から100年目にあたる節目の年です。今もなお当時の施設が残されており、貴重な土木遺産を広く伝え、先人が復興事業に込めた思いを継承するために各復興小公園(7箇所)に説明板を設置いたしました。また、東京都における、「TOKYO強靭化プロジェクト」の一環として復興小公園の再生事業が展開されており、この説明板は、東京都と連携して説明内容の検討をしました。
臨海公園 制札板設置状況
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