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更新日:2023年4月7日

紙本着色阿弥陀二十五菩薩来迎図・元禄8年裏貼書・附明和5年得誉祐全極状一通

紙本着色阿弥陀二十五菩薩来迎図・元禄8年裏貼書・附明和5年得誉祐全極状一通

亀戸の旧家に伝わる掛軸の来迎図です。来迎とは、臨終の時に仏がその人を極楽浄土に往生させるために迎えに来ることで、臨終間際の人に安らかな死を迎えさせるために制作されたのが来迎図です。

本図は、画面中央に阿弥陀如来像、その左側(向かって右前)に蓮台を持つ観音菩薩像、右側(向かって左前)に合掌する勢至菩薩像、そして周囲に楽器を奏で、舞踊する二十五菩薩像の合計二十七体の菩薩像を描いています。彩色については、茶地に雲を金箔押し、阿弥陀如来像の肉身・衲衣・光背を金箔押し、菩薩像の肉身を胡粉、条帛・天衣・光背を金箔押しとし、一部の像の着衣に朱・緑の彩色を施しています。阿弥陀如来像と菩薩像の肉身を除いて、地・光背・衲衣・天衣・雲などに隙間なく無量寿経という経文を墨で書写しているのが特徴です。阿弥陀如来像の表現は正統な仏画の系統をひくものですが、菩薩像の顔は円顔であり、やや趣が異なります。

本図の左上には「南無阿弥陀仏」を十回書写した十念名号と「祐天」の自署と花押があります。また、右下には「明蓮社顕誉祐天」の自署と花押が記されています。別紙の極状によって、これらが祐天の自筆であることが証明されています。祐天(1637~1718)は、江戸時代の浄土宗の僧で、字は愚心、号は明蓮社顕誉。将軍家から庶民に至るまで広く尊崇され、大奥では特に厚い帰依を受けました。増上寺などで修学した後、貞享3年(1686)増上寺を出て本所牛嶋(墨田区)に隠棲し、諸国を巡ったといわれ、名号の授与などによって人々に教えを広めました。その後、桂昌院の帰依を受け、元禄12年(1699)に生実大巖寺(千葉県)の住持となりました。正徳元年(1711)には増上寺36世となり、大僧正位に進みました。祐天の書く名号は信仰の対象とされ、他者の制作した仏画などに祐天が名号を書き入れることもありました。本図が所蔵者の家に伝えられた経緯は不明ですが、江東区域の旧家の信仰の一端をうかがえる資料です。裏面に貼紙があり、「六月二十五日」「元禄八乙亥歳」(元禄8年=1695)という年月日が記されています。ここに記された日付が来迎図の制作年を示すのか、経文が書写された日付を示すのかは不明ですが、本図は遅くとも元禄8年には制作されたと考えられます。

絵を経文で描く例は平安時代までさかのぼります。近世においては加藤信清(1734~1810)の作品などが知られていますが、信清や他の絵師の作品が18世紀の制作であるのに対して、本図は17世紀の制作であり、近世における文字で描かれた絵としては早い時期の作例といえます。また、現存する文字絵の多くは文字で輪郭線を表現していますが、本図は輪郭線ではなく、地・光背・雲や如来・菩薩の着衣などの面に隙間なく経文を書写しており、大変珍しい作例です。

 

郵便番号 136-0071
住所 亀戸9
地区 城東
所在地(所有者) 個人蔵
登録年月日 2001年3月29日

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