親水公園について
「親水公園」は、どんな公園?
親水公園はこんな公園です。
「親水」と書いて「しんすい」と読みます。
江東区のほとんどの親水公園は、川や運河を埋め立てて造った公園で、その特徴や歴史的経緯を活かし、その名のとおり、水に親しんで遊べるような水路や池、施設があります。
細長い地形を活かし、さらに交差する橋の下をくぐれるように整備するなど、連続性に配慮した園路は、一般道路との平面交差も少なく、散歩やジョギングなどに適しています。
また、園内の水路は、自然のままの川の水を導水しているため、魚類など水生生物が多く見られることも特徴の一つです。

親水水路(仙台堀川公園)
なぜ親水公園を造ったのか
川の整備
江東区全体の地盤沈下により、台風などで大きな水害がたびたび発生するようになりました。また大地震が発生した場合には、壊れた護岸から水が陸に流れ込み、さらに大きな被害がもたらされる心配がありました。
そこで、「江東デルタ地帯」と呼ばれる地域の災害を防止するため、昭和46年(1971年)に「東京江東地区の防災事業に関する方針」という計画書が作られました。
この中で、江東区内にある川の整備方針が次のように提案されています。
- (1)内水位低下方式(人工的に川の水位を低くする方法)
主に江東区の東部地域にある川が対象(北十間川、横十間川、小名木川、など) - (2)耐震護岸方式(護岸を地震に強い構造にする方法)
主に江東区の西部地域にある川が対象(扇橋閘門より西の小名木川、大横川、など) - (3)埋立て・暗渠化方式(埋立てや地下水路にする方法)
川や運河としての利用が見込めない川が対象(竪川、仙台堀川の一部、横十間川の一部、古石場川、など)
仙台堀川公園の誕生
現在公園になっている仙台堀川は、整備方針では(3)の「埋立て・暗渠化河川」と位置づけられましたが、その具体的な整備方法は、検討されていませんでした。
当時の仙台堀川は、満潮になると水面が周りの土地の高さよりも上になる状況でした。一方次々とかさ上げされてきた護岸は、まるで高い塀のようになっていました。このような護岸は、その形状から「かみそり護岸」とも呼ばれ、地震に弱く、またつなぎ目やひび割れなどから水がしみ出し、大変に危険な状態でした。
そこで、区では昭和53年(1978年)から、川の水路幅を7分の1に狭める埋立てを行い、埋め立てた部分を公園にする工事に取り掛かりました。工事は8年間に及び、昭和61年3月に全てが完成し、江東区最初の親水公園が誕生しました。

「仙台堀川公園」「横十間川親水公園」案内図
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親水公園7園の紹介ページです。
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