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更新日:2023年5月2日

深川・清澄白河駅周辺

清洲橋

  • 清澄1
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩8分

清洲橋の名は、深川の清澄町と日本橋中洲町を結ぶ橋から、新設時に公募選定されました。現在の橋は、大震災の復興事業で、ドイツのケルンの大吊橋を範にとり昭和3年完成したもので、女性的な曲線で優雅なシルエットを見せてくれる唯一の吊橋です。新大橋とともに「新東京百景」の一つとなっています。

この橋は、平成19年6月18日国の重要文化財に指定されました

清洲橋

平賀源内電気実験の地

平賀源内電気実験の地

  • 清澄1-2
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩8分

平賀源内は、享保13年(1728)高松藩の足軽の子として生まれ、諸学に通じ、文才に優れ、数々の発明をしました。中でも電気学者としても有名で、安永5年(1776)にわが国最初のエレキテル(摩擦起電機)を完成し、しばしば深川清住町(清澄1丁目)の自宅で電気実験を行い人々に見せました。この由来を刻んだ碑がこの地にあります。

芭蕉墨直しの碑

  • 清澄3-4-6(臨川寺)
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩5分

臨川寺は、京都妙心寺の末寺で、仏頂禅師が江戸へ出府したときの宿所が始まりです。この時、芭蕉が親交を深め、参禅したといわれています。この寺の境内に芭蕉ゆかりの「墨直しの碑」と「由緒塚の碑」があります。

「墨直しの碑」は、芭蕉門下の各務支季が、京都の双林寺に建立した師である芭蕉のことを記した鏡塔(または鏡塚)を江戸小石川の神谷玄武房白山が墨跡をここに写し、墨直しの碑を称したものです。また、「由緒塚の碑」は、その由来を記して建てたものです。

この二つの碑は、戦災等でひどく損傷したので、昭和37年に再建されています。

芭蕉墨直しの碑と由緒塚の碑

芭蕉墨直しの碑と由緒塚の碑

清澄庭園

清澄庭園

  • 清澄3-3
  • TEL 03-3641-5892(清澄庭園管理事務所)
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅 徒歩3分

下町の名園、都立清澄庭園が、昭和54年3月に指定された都の名勝第1号であることはあまり知られていません。清澄庭園は、広大な池を囲んで、大小島々の配置の景観が美しく、都内随一といわれる名石奇岩に恵まれた、四季を通じて眺望の良い庭園です。とくに新緑の頃と雪景色はすばらしいものです。

  • 詳細情報
    関連リンク(このページ最後):清澄庭園のページ参照

深川江戸資料館

深川江戸資料館

  • 白河1-3-28
  • TEL 03-3630-8625
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩4分

資料展示室は、地下1階から地上2階までの吹き抜け空間に、江戸時代(1842~1843年を想定)の町並みや庶民の生活ぶりを再現しています。長屋2棟をはじめ八百屋、つき米屋、火の見櫓、猪牙舟が浮かぶ掘割、家の中の生活用品類一つ一つにまで細かく気を配っています。

さらに深川の1日の暮らしの様子を20分程度に集約し、音響と照明効果で演出しています。たとえば、夏の時期には、夜明けの照明に始まり、鶏の鳴き声、あさり売りや金魚売りの声、雨の音、虹や夕焼けなどを表現し、下町情緒を盛り上げ、150年前の世界へと誘ってくれます。

  • 詳細情報
    関連リンク(このページ最後):深川江戸資料館 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団ホームページ参照

霊巖寺

  • 白河1-3-32
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩3分

霊巖寺は、徳川家康・秀忠・家光の信頼のあった雄誉霊巖が寛永元年(1624)、霊岸島(中央区)に創立し、明暦の大火による焼失後、万治元年(1658)に海浜の低湿地を住職珂山とその弟子により埋立てられ、現在の地に移転しました。

境内には、「松平定信の墓」や都重宝「江戸六地蔵」の一つ「銅造地蔵菩薩坐像」があります。

霊巖寺

阿武松緑之助の墓

阿武松緑之助の墓

  • 三好1-4玉泉院墓地
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩6分

阿武松緑之助(おうのまつみどりのすけ)は、能登国七海村(石川県)の農家の生まれで、文化11年(1814)25歳のとき武隈に弟子入りしましたが、一度は国に帰された後、錣山の弟子になりました。それ以降年々成績をあげ、文政11年(1828)38歳のとき横綱となりました。歴代横綱の中では、大器晩成型の努力家の力士でした。嘉永4年(1851)12月61歳で死去し、玉泉院に葬られました。

紀伊国屋文左衛門の墓

  • 三好1-6-13(成等院)
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩4分

紀伊国屋文左衛門(紀文)は紀州出身で、若いとき江戸に出て、材木業を営み、幕府と関わり材木豪商となりました。後年は、門前仲町一の鳥居付近(門前仲町1)に住み、享保19年(1734)4月に66歳で没したといわれ、成等院に葬られました。

紀文の墓は、左隅にあり、正面の紀文の碑は、昭和38年に建てられました。

紀伊国屋文左衛門の墓

東京都現代美術館

東京都現代美術館

  • 三好4-1-1
  • TEL 03-5245-4111
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩13分

木場公園の北側に位置する東京都現代美術館は、ロイ・リキテンシタインの最高傑作の一つで、同氏から「東京の美術館のシンボル」として600万ドルで譲り受けた「ヘア・リボンの少女」やアンディ・ウォーホルなどの作品を含めた約3,500点の所蔵作品を順次紹介し、現代美術を中心に日本と世界の様々な美術を幅広く積極的に紹介するため、平成7年3月にオープンしました。平成31年にはリニューアルオープン。

常設展示室では、3,500点を超える現代アートの収蔵作品の中から常時100点以上を展示しています。

企画展示室では、様々なジャンルの展覧会を国際的なスケールで開催します。

  • 詳細情報
    関連リンク(このページ最後):東京都現代美術館ホームページ参照 

滝沢馬琴誕生の地

  • 平野1-2-3
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩4分

「南総里見八犬伝」で有名な滝沢馬琴は、明和4年(1767)6月9日、深川浄心寺門前の松平信成邸内(現在の平野1付近)で生まれました。父は信成の家臣で、その五男としての誕生でした。成人したのちは、山東京伝に師事し、「椿説弓張月」をはじめ1,400余の著書を残しました。馬琴は、嘉永元年(1848)11月82歳で死去し、文京区茗荷谷の深光寺に葬られています。

このモニュメントは、国立国会図書館に所蔵されている106冊分の原本の寸法を測り、2つの山に分けて積み重ねられた形をしています。

滝沢馬琴誕生の地

間宮林蔵の墓

間宮林蔵の墓

  • 平野2-7-8(本立院墓地)
  • 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩4分

間宮林蔵は茨城県の出身で、享和元年(1801)伊能忠敬に測量術を学びました。文化5年(1808)から翌年にかけ、樺太(サハリン)全土を探検し、樺太が離島であることを明らかにしました。後にこの海峡は、間宮海峡(タタール海峡)と名付けられました。

晩年は、深川蛤町(門前仲町付近)に住み、天保15年(1844)2月65歳(70歳という説もある)で没し、本立院(平野1)に葬られました。林蔵の墓は、本立院の墓地であったところにあり、本立院とは少し離れています。

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地域振興部 文化観光課 観光推進係 窓口:区役所4階33番

郵便番号135-8383 東京都江東区東陽 4-11-28

電話番号:03-3647-3312

ファックス:03-3647-8470

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