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報道発表資料
発表日:2023年10月30日
関東大震災後に、震災復興事業の一環として整備された、区内の震災復興橋梁、震災復興小公園に、橋梁や小公園の歴史的価値などについて記載された説明板が設置されました。
(震災復興橋梁「亀久橋」と震災復興小公園「元加賀公園」)
1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災では、発生時刻が午前11時58分と、昼時であったこともあり、多くの火災が発生。東京市の市街面積の約40パーセントが焼失し、震災前に架けられていた木橋の65パーセント強、鉄橋の81パーセント強が火災で失われ、全体の50パーセント強が被害を受けました。
その後、1923(大正12)年9月27日に設置された帝都復興院の復興計画に基づき、震災から8年間で、鉄筋コンクリート製・耐震耐火構造の「震災復興橋梁」が約400誕生。うち208の橋梁は江東区域に架けられ、現在も区内の交通を支えている小松橋、鶴歩橋などの15橋のたもとの説明板からは、橋梁ができた背景などを知ることができます。
(昔の福寿橋(写真上)と亀久橋(写真下)。この2橋は都市景観重要建造物に指定)
また、震災時、公園緑地が焼け止まりとして機能したことを受け、東京市は震災の焼失区域に「震災復興公園」として52か所の小公園を開設。区内にも、東陽公園、元加賀公園など7か所の小公園が整備され、これらの公園は現在も遊び場・避難場所として機能しています。
各小公園に設けられた説明板には、公園開園当時のモノクロ写真などもはめ込まれており、「広場を中心とした設計」「水場や藤棚がある」といった、小公園の特徴を読み取ることができます。
(開園当時の元加賀公園(写真上)、川南公園(写真下))
震災復興橋梁、震災復興小公園は防災機能を有するだけでなく、都市景観を考慮したデザインや、設置当時のレトロなつくりも備えています。ぜひ、この機会に、「復興のシンボル」でもあった橋や公園の、隠された記憶と魅力に触れてみてください。
震災復興橋梁について(道路課)
https://www.city.koto.lg.jp/470208/shinsaihukkoukyouryou.html
震災復興小公園について(水辺と緑の事務所)
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