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更新日:2023年3月8日

なぜ親水公園を造ったの?

川や運河の歴史

江東区内には、徳川家康の命により開削された小名木川をはじめ、江戸時代に開削された仙台堀川、竪川、横十間川など、内部河川と呼ばれる18もの川や運河があり、その長さは合計で約32kmにもなります。

これらの川や運河は、江戸時代には今の千葉県方面から塩や米などの物資を船で運ぶ輸送路として、また明治以降は、工場への資材や製品の輸送、木場への木材の輸送などに利用されてきました。

しかし、昭和に入り工業地帯として飛躍的に発展すると共に、大量の地下水をくみ上げて利用した結果、地盤沈下が進み、区内の大部分の土地が海抜0メートル地帯となりました。船は橋の下を通過することも難しくなり、また一方では陸上輸送の発達により、次第に川は利用されなくなりました。

川の整備

江東区全体の地盤沈下により、台風などで大きな水害がたびたび発生するようになりました。また大地震が発生した場合には、壊れた護岸から水が陸に流れ込み、さらに大きな被害がもたらされる心配がありました。

そこで、「江東デルタ地帯」と呼ばれる地域の災害を防止するため、昭和46年(1971)に「東京江東地区の防災事業に関する方針」という計画書が作られました。

この中で、江東区内にある川の整備方針が次のように提案されています。

  • (1)内水位低下方式(人工的に川の水位を低くする方法)
    主に江東区の東部地域にある川が対象(北十間川、横十間川、小名木川、など)
  • (2)耐震護岸方式(護岸を地震に強い構造にする方法)
    主に江東区の西部地域にある川が対象(扇橋閘門より西の小名木川、大横川、など)
  • (3)埋立て・暗渠化方式(埋立てや地下水路にする方法)
    川や運河としての利用が見込めない川が対象(竪川、仙台堀川の一部、横十間川の一部、古石場川、など)

仙台堀川公園の誕生

現在公園になっている仙台堀川は、整備方針では(3)の「埋立て・暗渠化河川」と位置づけられましたが、その具体的な整備方法は、検討されていませんでした。

当時の仙台堀川は、満潮になると水面が周りの土地の高さよりも上になる状況でした。一方次々とかさ上げされてきた護岸は、まるで高い塀のようになっていました。このような護岸は、その形状から「かみそり護岸」とも呼ばれ、地震に弱く、またつなぎ目やひび割れなどから水がしみ出し、大変に危険な状態でした。

そこで、区では昭和53年(1978)から、川の水路幅を1/7に狭める埋立てを行い、埋め立てた部分を公園にする工事に取り掛かりました。工事は8年間に及び、昭和61年3月に全てが完成し、江東区最初の親水公園が誕生しました。

仙台堀川公園と横十間川親水公園の案内図

「仙台堀川公園」「横十間川親水公園」案内図

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土木部 施設保全課 水辺と緑の事務所

郵便番号135-0052 東京都江東区潮見1丁目2番1号

電話番号:03-5683-5581

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