清澄庭園
明治中期の造園で、当時の原形をよく保っている潮入り形式の庭園で庭園史上注目される。庭園面積は37434,32平米ある。
享保期(1716~35)以降、下総国関宿藩主久世家の下屋敷で、この頃からある程度の庭園の形がなされたらしい。明治11年(1878)に岩崎弥太郎の所有となった。彼は来客用に庭園の整備をおこない、かつ全国各地の名石等を収集して配置した。次いで、弟の岩崎弥之助の所有となり、現在の庭園を完成した。庭園の池水は隅田川から導入し、潮の干満の差によって景観の変化を観賞するという庭園である。大正12年(1923)の関東大震災により庭園内建築物は全焼し、多大の被害を受けた。同14年(1925)東半分約1万5000坪を東京市へ寄附し、昭和7年、市はこれを公園として一般公開した。同20年の空襲により荒廃したが、同28年に復旧した。昭和54年、東京都名勝第1号に指定された。
郵便番号 | 135-0024 |
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住所 | 清澄3-3-9 |
地区 | 深川 |
登録年月日 | 1981年3月31日/1979年3月31日都指定 |
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