ここから本文です。

更新日:2017年1月19日

三十三間堂跡モニュメント

平成7年3月設置

このモニュメントは、以前からあった三十三間堂史跡の石柱を移築し、その右側に当時の三十三間堂のレリーフが置かれています。このレリーフはブロンズ製で文政4年(1821年)堂守、鹿塩久右衛門の元にあった深川三十三間堂での通し矢の記録を本として出版した「深川江戸三十三間堂矢數帳」の中の絵のページが開かれ、三十三間堂がみごとに浮き上がって描かれています。
また、白御影石の台座には史跡としての説明文が書かれたブロンズがはめ込まれており、コンクリートの台座には陶板による一間(約1.8メートル)の「矢」が描かれています。

三十三間堂跡モニュメント写真

三十三間堂跡モニュメント

江戸三十三間堂は、京都蓮華王院に模して、寛永19年(1642年)に浅草において建立されました。深川に移されたのは元禄14年(1701年)のことです。深川における三十三間堂は、南北六十六間・東西四間の堂舎であり、本尊は千手観音であったといわれています。

現在でも、京都の三十三間堂において、通し矢が行われています。江戸時代は、江戸の三十三間堂においても、諸士の弓術稽古のために通し矢が行われていました。深川三十三間堂は、明治5年(1872年)に廃棄解体され、本尊は正覚寺(深川2-22-5)に移されました。

昭和6年(1931年)まで三十三間堂が建っていた場所は、深川数矢町といいました。数矢町は明治2年起立の町で、町名は「三十三間堂が射手数矢を演じたる地なるを以って町になづくという」といったことにちなんでいます。現在は、富岡2丁目に含まれ、数矢町はなくなりましたが、この名前は、数矢小学校の名に残っています。当時の面影を偲ぶものはほとんどありませんが、高さ1メートルたらずの「三十三間堂跡」と刻まれた標柱が建っています。江戸時代には、絵のような壮麗な堂舎の中で、毎日のようにするどい矢風のようなうなりが響いていたのでしょう。
(「史跡をたずねて」より)

三十三間堂跡モニュメント 案内地図

設置場所:江東区富岡2丁目4番地先

三十三間堂跡モニュメント 案内地図

三十三間堂跡モニュメント 案内地図

関連ページ

お問い合わせ

地域振興部 文化観光課 観光推進係 窓口:区役所4階33番

郵便番号135-8383 東京都江東区東陽 4-11-28

電話番号:03-3647-3312

ファックス:03-3647-8470

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?