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更新日:2022年4月14日
日本の春は、様々な場面で、別れと新たな出会いを迎える希望に満ちあふれた季節です。
昭和22年の春、旧深川区と旧城東区が合併し、江東区は誕生しました。
昭和20年3月の東京大空襲で、数万もの一般市民の尊い命を失い、戦火で荒廃したまちは、幾多の苦難を経ながらも発展を続け、先月15日に区制施行75周年を迎えました。
昭和から平成での過程では、洪水・高潮に怯おびえ、川沿いに高くそびえる「カミソリ堤防」が象徴的であった光景は、豊かな水辺の風景へと変わり、東京のごみの最終処分場の役割を一身に担わされ、「ゴミの島」と呼ばれていた湾岸部は、緑あふれるまちなみへと変貌ぼうを遂げました。
また、私が区長となった、平成から令和においては、都市開発の加速とともに、急速に進んだ人口増加に対応するため、学校建設や保育園・子育て支援施設などの整備を重点的に取り組み、令和元年には、人口は52万人を超えました。
そしていよいよ、本区の長年の悲願であった、豊洲から住吉までを結ぶ、地下鉄8号線延伸事業が動き出します。
区内での鉄道新線の整備は、地域に更なる賑わいと活気を生み出す絶好の機会です。これを本区の発展に最大限結びつけるため、区民の皆様と一緒に、新たなまちづくり構想の策定を始めていきます。
江東区の魅力のひとつは、下町情緒を残しながらも、未来型の都市開発が進む、多彩な顔を持つまちであることです。
私は、先人達が築いてきたものを、しっかりと次代へつなぎ、未来にむけて、今なすべき事を着実に進めてまいります。
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